「すべからく」という語が本書や落合サンの著書のなかでよく使われている、前後の文章から読むと使い方に違和感は感じないようだが、本人は「総て」とか「あまねく」という意味でお使いのようだ、だが、本意は「なすべきこととして」とか「当然のこととして」という意味だ。
よく週刊誌の三流ライターも間違えて使うが、一時が万事というか、落合サンもイマイチ詰めの甘さが目立つ。クラシックな洋服に造詣が深い落合サンらしからぬオチドだ。
「着こなし」とは頭からつま先までのことまでをいうが、いかにクラシックな装いに造詣が深くとも、落合サンの著書の靴下と靴に関してのウンチクを読めば、その詰めの甘さを指摘せざるをえない。
それは西欧人(いわゆる白人)はクラシック(ビジネスライク)な装いをしているときは靴を脱がないということだ、そして靴下や素足も見せない、西欧に行儀という文化があれば、人前で靴を脱いだり、靴下や素足を見せたりすることは行儀が悪いこと以上の行為になるのだ。そしてほとんどの場合、朝起きてから夜寝るまでの間、靴が身体から離れる事は無い。
逆に、バカンスやホリデーでは素足に短靴を引っかけたりする。これは自分がプライベートを楽しんでいるという主張なのだ。
このあたりをごっちゃにして、なにがなんでも「クラシックな装いが良い」では、まるで「○○の一つ覚え」だ。世界中でチャイナ服が流行れば、きっと落合サンは「中国三千年、太古中国服着」みたいな本を書くだろう。(笑)
映画「ダイハード」でのワンシーン、ブルース・ウイルスが機中で隣の乗客から聞いた足先を丸めるオマジナイ、それをナカトミビルの中で思い出す。あのジョークがわからなければ、西欧の文化(服飾術)など語るべきではないのだ。
落合サン、もう少し西欧文化と日本語のお勉強をし直してください。